2022年度 西洋史学部会発表要旨
 
一、 シドニウスの頌詩にみるガリア・セナトール貴族の権力構築の構想

丸善雄松堂(株)APS事業部 図書館サポート統括部 中四国センター 上杉崇

 西ローマ帝国による統治体制の動揺、ゲルマン諸部族の活動の激化といった、切迫した状況にあった五世紀ガリアにおいて主導的役割を担ったのが、行政、経済、文芸などあらゆる方面での「ローマ」の後継者にして、故地ガリアの守護者という二重の自意識を有する、セナトール貴族と呼ばれる人々である。その代表的人物であるシドニウス・アポリナリスは、現存する詩歌、書簡によって同時期のガリアに関する貴重な情報を提供している。
 シドニウスのガリア情勢への参与の端緒となったのが、ガリア・セナトール貴族による義父アウィトゥスの皇帝擁立であった。本報告ではまず、この事件の背景にあった諸勢力およびアウィトゥス自身の動向を跡づける。そのうえで、アウィトゥスの就位にあたり、シドニウスが献呈した頌詩の内容から、社会構造の根本的な転換のなかにあって、ガリア・セナトール貴族が選択した、西ローマ帝権の奪取による権力構築の構想を検討する。


 

二、野良説教者ジョン・ボールは異端だったか?——
  ロラード派出現直前のイングランドにおける「異端」探知

 慶應義塾大学 赤江雄一

 1381年のイングランド農民反乱のなかで首謀者のワットタイラーとならびその名が知られているジョン・ボールは、年代記史料においてはオックスフォード大学から独自の教説を打ち出していたジョン・ウィクリフの信奉者としての「異端」として描かれているが異端としてではなく大逆罪のかどで処刑された。興味深いことに、ボールが、農民反乱以前にどのような存在だったのか、いつ「異端」的な存在として認識されたのかについてはいくつもの史料が同定されているにもかかわらず、その網羅的な考察はなされていない。本報告では、ボールに関する王権と教会の文書史料を時系列に沿って検討し、「放浪する説教者」がいつ反乱以前に「異端」として捉えられたかを史料上で追う。反乱の翌年以降、王権は異端に関する初の制定法を定めて異端対策を強化していくことになる。本報告は、その大きな変化の直前におけるイングランドでの異端の探知のあり方を示すことになるはずである。


 
三、東地中海世界と宗教改革
  ―ヴェネツィア領キプロスにおけるプロテスタントと異端審問―

 京都大学 藤田風花

 本発表は、1474年から1571年までヴェネツィアの海外領土(Stato da Mar)であったキプロスに注目し、ヴェネツィア領内における宗教改革と異端審問が海外領土にいかなる影響を及ぼしたのかを問う。近世における異端審問の研究対象は、2000年頃までもっぱらスペインが中心であったが、近年あらたに注目を集めているのが、多くの商人や留学生を抱え込み、イタリアにおける宗教改革思想の玄関口となったヴェネツィアである。先行研究では、ローマの異端審問が導入されたのちも、さまざまな回路でそれに介入したヴェネツィアの宗教政策、およびヴェネツィアにおける国家と宗教の関係に焦点があてられてきた。本発表では、先行研究が明らかにしてきたそのようなヴェネツィアの支配体制をふまえつつ、個別の海外領土の歴史的文脈のなかで、宗教改革思想の伝播と異端審問の展開を跡づけることで、当時のプロセス社会の一側面を明らかにする。


 
四、「渡海者」から「献策家」へ
  ―新キリスト教徒商人ドゥアルテ・ゴメス・ソリスのスペイン帝国再生論―

 大分県立芸術文化短期大学 疇谷憲洋    

 ポルトガル系新キリスト教徒(コンベルソ)は、1580年~1640年、スペイン国王がポルトガル国王を兼ねる「同君連合」の下で、ポルトガル・スペインの垣根を越えて幅広く活動し、独自のネットワークを形成した存在として注目されている。彼らの中から、海洋帝国における「渡海者」としての経験を踏まえて、スペイン王権に献策を行う人物も現れた。リスボン生まれの商人ドゥアルテ・ゴメス・ソリス(1561/62~c.1630)は、インドに二度渡海し、商人・代理人として活動、帰国後は、公債を購入するなどスペイン王権との関係を深めるとともに、提案書や著述を通じて、国王フェリペ4世や宰相オリバーレスらに対して献策活動を行う「献策家」としても活動している。
 本報告では、『両インディアスの通商に関する論考』(1622年刊)と『ポルトガル王国において新たに設立される海外交易のための東インディアの会社のための陳述』(1628年刊)を基に、彼のスペイン帝国再生論について検討する。

 

五、歴史教科書の「市民革命」を問う――英仏の教科書を参考にして
 
 島根大学 槇原茂

 本報告は、「市民革命」という概念・用語に孕まれる問題点と課題について考察することを目的としている。報告者は、かねてより「市民革命」概念が、わが国において学術的な論議の対象とされないまま、いわば歴とした事実を示す用語として流通していることに漠然とした疑問を抱いてきた。革命史を専門としていないこともあり、この問題を真正面から問い直すことはできないが、大学の授業でとりあげた歴史教科書の記述を手がかりにして、問題の所在を明らかにしてみたい。
 まず文部科学省の中・高学習指導要領において「市民革命」が近代の重要項目として取り上げられている一方で、教科書記述にはかなりの差異が見られる点を指摘する。関連して、戦後歴史学以来の「市民革命」論の変遷についても一瞥する。そして、英仏の前期中等教育の歴史教科書を参照しながら、この概念の課題について論及したい。


 

六、ヴァイマル・ドイツにおける「同性愛者」の自己表象

 九州大学 松口優花
 
 帝政期ドイツ(1871〜1918)には、刑法175条という、所謂「同性愛」行為を罰する法律があり、それにもとづく差別が横行していた。これに対し「同性愛者」らは、第一次世界大戦前から解放運動を展開し、大戦後は新たに成立したヴァイマル共和国(1918〜1933)の枠内で運動の拡大・大衆化を果たした。しかしながら、帝政崩壊後もなお刑法175条廃止は達成されず、それどころか1924年に起こったあるスキャンダルによって「同性愛者」は窮地に立たされたと言われる。
 本報告では、このスキャンダルに起因する新たな「同性愛」表象の出現と、それに対する「同性愛者」の対抗言説および自己表象を、当時刊行されていた「同性愛者」向け雑誌『友情(die Freundschaft)』を中心に分析することで、それらの動きが刑法175条撤廃を目指す解放運動と、そこにおける「同性愛者」の主体形成においてもつ意味を考察してみたい。


 

七、西ドイツ軍における軍人像 ―「制服を着た公民」をめぐる議論から―

 大阪大学/日本学術振興会特別研究員DC1 福永耕人

 第二次世界大戦後の西ドイツ軍の創設に当たっては、後に陸軍中将となるグラーフ・フォン・バウディッシンらによって、「制服を着た公民」の理念が導入された。これはナチスの暴虐を許したことへの反省から、上官に対する服従を絶対視しない自律的な軍人像を提示したものであり、同時に、戦場で兵員個々人が臨機応変に行動することを求められる現代戦において、より効果的に戦える兵士を育成しようとするものでもあった。しかし、「命令と服従」という、従来の軍隊の規範意識を否定するこの理念に対しては当初より、大戦に参加した古参の軍人を中心として批判があり、1960年代の後半から70年代の初頭にかけては、激しい論争に発展した。本報告では、論客達の著作や、雑誌Alte Kameradenへの軍関係者らによる寄稿等の一次史料を用いて、西ドイツ軍の軍人像についての議論の実態を検討し、その歴史的意義を解明する。